宗教法人本廟本願寺
本願寺の公称
本願寺を公称されたのが いつの頃からかは明らかではありませんが、 留守職(るすしき)就任後、十年程した 元亨(げんこう)元年(一三二一)年頃に、 初めて公的な 文書に 本願寺の寺号が出てまいります。
上人(しょうにん)、五十七歳の著 「執持鈔(しゅうじしょう)」に 「本願寺聖人の仰(おおせ) に曰く」と 本願寺を使っておられます。 |
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その後覚如(かくにょ)上人は、 本願寺こそが、正しい法統(ほうとう)の 伝持(でんじ)する道場であると強調し、 末弟が建立する草堂を本所と強弁して、 諸国門徒が挙って崇敬(そうきょう)すべき、 宗祖の本廟(ほんびょう)本願寺を おろそかにすることは、まことに冥加にそむき、 悲しいことで あると非難されて、 本廟本願寺こそが総門徒を統摂(とうしょう) すべきものであって、私こそがその責任者であり、 代表者であると、御自身の立場を 明らかにしておられます。
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然しここにきて、 東国は東国、京都は京都で、 各々独自の道をまいりましょうと、 東国・京都の縁が ぷっつりと切れたのであります。 |